かまやつひろしの部屋=日本のポップスを考える

 

かまやつ「このシリーズも3回目なんですけど、これまでで一番問題になったことはこういうことなんですよ。フォークがアンダーグランドであった時はいいものを持っていた。当然、ある視線から見ていいということなんですけどね。それが売れたりして、音楽的に寒い部分が着飾っていくと、いわゆるフォークのよさっていうものから遠ざかっていくのじゃないかと、そういうことがあったんですよ。」

すぎやま「あのフォークのよさって何だろう?
 これは優れた音楽は何かということにもかかわってくるけどね。過去の音楽の歴史を見てもやっぱり「多くの人に理解され、沢山の人に感動を与えた」というのがいい音楽ってことになるわけじゃない?
 それは時間的な幅を取らなきゃいけないと思うんだ。だから現時点だけじゃ判断できないじゃない。」

かまやつ「じゃ、絵画と同じですね。」

すぎやま「作られた当時は全然話題にならなくても、ずっと後になって値打ちが出てくるものって、演歌の大ヒット曲と変わりないと思うんだ。ベートーベンの5番なんか演歌の大ヒット曲以上だしね。だから、クラシック音楽がいい音楽だといわれるのは、音楽的にハイ・ブローだなんてことじゃなく、やっぱり支持した人数のトータルが多いからじゃないのかな?」

かまやつ「そういった意味では、ビバルディの「四季」は大ヒット曲ですね(笑)。」

すぎやま「大ヒットも大ヒット。でも世界的に見るとベートーベンの「交響曲第5番」のほうが多いだろうな、売り上げ枚数。これ全部合計したらビートルズだってかなわないよ。でも、ビートルズもスタンダード・ナンバーとして残る曲がいくつかあるね。」

かまやつ「イエスタデイなんて残りそうですね。」

すぎやま「絶対残るよ。これはヨーロッパでなきゃ生まれなかったスタンダード・ナンバーだろうな。「スター・ダスト」とか、ジャズ系のものと曲のでき方が全然異質だもの。」

かまやつ「たとえば「1001」にのってるようなジャズのスタンダード・ナンバー。今はあまり露出してる部分が少ないけど、あと5年ぐらいしたら、突然みんな歌いだすんじゃないかなという気がしてしようがないんだけど。」

すぎやま「ティファナ・ブラスがやった「Taste of Honey」って古い曲でしょ。ああいった形で、いい素材ってのは新しい料理の仕方で出てくるよね。」

かまやつ「あと120年ぐらいしたら、なんとかスペース・バンドというのが、「学生街の喫茶店」やってるかもしれないね(笑)。」

すぎやま「それは夢のような話だな(笑)。」

かまやつ「僕、先生の曲で好きなのは、”花の首飾り”。」

すぎやま「自分でも好きな曲だよ。」

かまやつ「「モナリザの微笑」もいいしね。それから、いかにも計算して作ったなと感じるのに、「君だけに愛を」があるでしょ。」

すぎやま「これは、TVのディレクターの目で見て作った曲だからね。」

かまやつ「僕ら、びっくりしちゃった。イントロでピーが急にドーンとドラム入れたでしょ。そしてジュリーがこっち向いて「君だけに・・・」とやる。ああ、やったなと感じて見てたんですよ。」

すぎやま「TVのカット割りができてるんだもの。曲を作る時から、まあ、あれはショー・ビジネスに徹して作ったというところかな。ポピュラー・ソングっていうのは、半分音楽芸術、あとの半分はショー・ビジネスじゃない。日本の場合いちばん欠けてるのが、ショー・ビジネスの伝統だろうね。フォークの人たちの悩む1つの原因がそこら辺にあるような気がするな。」

かまやつ「この2〜3年、いわゆるショー・ビジネスという形があるとしたら、それに飽きて、全くそういうニオイのしないショー・ビジネスというものを作っていたんじゃないかな?と思うんですね。それでまたそれに飽きて・・・。」

すぎやま「ああ、あるね。」

かまやつ「たとえば、ロックが段々むずかしくなって、ヴォーカルがついていけなくなるような感じありましたね。だけど、またロックン・ロールに戻ろうとしてるのは、「見せよう」とか何かこう回ってますね。」

すぎやま「回ってるな。だから、欧米でロックが高度になってついていけないところへ、T・レックスが出てきて、大ショー・ビジネスになったりして・・・(笑)。」

かまやつ「そういう意味で、タイガースみたいなのが出てくるの、大いに歓迎ですね。」

すぎやま「僕も出て欲しいな。」

かまやつ「そういうのに新しいサウンドをのっけて、そうすると音楽的にも向上するんじゃないのかな?」

すぎやま「ところで、フォークのコンサートに行って感じることあるんだ。出てる人たちが喋っている間は、若い女の子たちは笑ったり、手をたたいたりして聞いているけど、歌が始まるとザワザワしちゃう。そういう現場に何回も出会ったんだ。自分たちのアイドルがほしいんじゃないのかな、彼女たち。歌が始まるとシラケちゃうというのは、曲をまとめあげるテクニックに、フォークの人たちが欠けているんじゃないかと思うわけ。「日常から出てきた歌を歌おう」という姿勢はいいんだけど。フォークの人たちが作った詩や曲は、僕らが聞いても勉強になるところがあるのに、それが断片で終わっているような気がしてならないんだ。どこが頭で、どこがシッポだかわからない。構成力が欠けてるから、説得力もなくなっちゃう。だから、非常に日常的なことを書いてもさ、プロの小説家が書くと短篇小説になっても、普通の人だと日記のままで終わっちゃうみたいなところあるだろ。そんな気がしたな。」

かまやつ「確かに、ある意味ではフォーク関係の若い人たちの曲の中には、そういう構成力の欠けたものがありますね。」

すぎやま「そういうフォークなんかやってる若い人たちを含めて、日本のポップスが本物になってくる時って、やっぱり自分自身の音楽の個性を持ったもので、世界中で大ヒットを飛ばしたり、後世まで残る曲を作れる人が沢山出てきた時じゃないかな。今、ポップスの人たちが新しいサウンドを勉強するというと、、むこうのレコードを聞くわけだろ。「カーペンターズを聞いて勉強になった」と同時に、「日本の何々のレコードが参考になった」といわれるぐあいに、日本のポップスも勉強される対象となるものが出てきたり、あるいは日本のものから勉強しようという風になると、日本のポップスも定着するんじゃないかな?
かまやつ君、日本のレコード聞いて、「何かいいことないか」なんて努力する?」

かまやつ「僕なんか感じるんですけどね。音楽以外のもので外国よりいいってものが沢山ありますよね。車とか洋服とか。これは質がいいってこともあるけど、マーケットを開拓した人がいたわけでしょ。音楽の場合、今いちばん必要なのはそういうことじゃないのかな?
そしたら、ジェイムス・テイラーが好きで、どう弾いても彼の音になっちゃうような人が、そういうマーケットができたおかげで、雅楽や琵琶を持ってきて自分の音を作って、外国へ行くように変わるんじゃないかと思いますしね。」

すぎやま「でも、我々が日本の音楽を作る時、雅楽とか琵琶を取り入れるだけじゃないんじゃない?
全く洋楽の手法や楽器を使っても、外国グループに決してできないようなオリジナルを作れば、これやっぱり日本の音楽じゃない?」

かまやつ「たとえば、日本のグループが外国へ行って認められるというのは、これからまだ難しいけど、フリーに山内哲が入って活躍してることが、何かのきっかけになるんじゃないかなって気がするんですけどね。」

すぎやま「それより、やっぱりマーケットを切り開く先兵が必要だよ。」

かまやつ「外国人は、日本の音楽ってことでなく、外国に日本人が来て歌ってる異国情緒みたいなことからひかれていくでしょ。悲しいことかもしれないけど、こういうことも、外国への進出のもとになるんじゃないかなって気もするんです。僕らスパイダースの頃、ヨーロッパへ行って、「ブン・ブン」って曲、かなりコピーして歌ったんだけど、「オリエンタル」だって言われたんです。彼らの望んでいるのは、「日本くささ」じゃないかなと思いましたね。」

すぎやま「そりゃそうだよ。今までの外国での日本の最大のヒット曲は「スキヤキ」だものね。チャイコフスキーとかリムスキー・コルサコフらが出た頃に、ロシアの作曲家で、そこの土俗的な音楽でしかなかったものは、結局世界的なものにならなかったものね。チャイコフスキーにしても、リムスキー・コルサコフにしてもバルトークでも、ロシア人としての感覚と同時に、インターナショナルなものを持ってたわけだし。」

かまやつ「日本のミュージシャンのやってる音楽をむこうに売る前に、外国ミュージシャンのコピーであってもいい。ただその前後に日本人しかできないジャグみたいなことをやって、客引きをしてお客の集まる出し物にすれば、自然と日本の音楽が入ってくるんじゃないのかな?」

すぎやま「でもね、自動車やラジオをみると、あれは全くインターナショナルなものだけで売ってるような気がするんだ。」

かまやつ「自動車といえば、鉄とか素材はむこうの方がいいけれど、ボタン押すと窓があくとか、キメの細かさね。そういうサービス精神てあるでしょ、日本人て。それを、音楽的にもっともっと徹底させていけばいいんじゃないかな?」

すぎやま「だから、ポピュラー・ミュージックの中に、日本人独特の”こまやかさ”みたいなものを持ちこめたら非常にいいと思うんだな。」

かまやつ「外人と話してる時、「お前たちは日本人のセンシティブはわからないよ。」っていうと、彼ら縮こまってしまう。日本人のセンシティブなものに、すごいコンプレックス持ってるんですね。いやらしいけど、それをむきだしにして、脱帽させておいてから攻め込んでいかないと、進出しにくいんじゃないかな。」

 

かまやつ「ところで、去年から今年にかけて、フォークの人たちも、今までの生ギター一本みたいなスタイルから、だんだん電気楽器を使うようになってきたわけですけど、どうですかその辺は?」

すぎやま「やっぱりでかい音するからね。ステージでうけるし。だから、曲をプロが依頼されて作るケースが多くなるね。大まかにいうと、シンガー=ソング・ライターは自分の為に、プロ作家はお客の為に作るといわれてるわけよ。そうじゃない人もいるけどね。でも「自分の為に作った歌だから純粋であり、人の為に作ったものだから不純である」という公式的な区別はできないと思うんだ。」

かまやつ「この辺で五輪さんがくるとおもしろいんですね(笑)。」

すぎやま「モーツァルトのシンフォニーとか、オペラなんて芸術的にも素晴らしい作品だけど、あれだって彼の悪妻に尻をたたかれ、お金の為に書いたようなものなんだからね。」

 

------ここで五輪さんが登場

 

五輪「ああ、ありますね。私の「少女」のLPは、全曲自分のことしか書かなかったけど、今度のは聞く人を意識するというか、ぜひとも一緒に歌えるものを書きたいと思ってます。」

すぎやま「出来あがった作品の価値は、作る時の姿勢とか過程とかには関係ないものだと思う。シンガー=ソング・ライターの作品でバカヒットを飛ばしたものが出にくいというのは、全て日記に書いたことでしょ。他人が聞いてもおもしろいことはないですよね。」

五輪「シンガー=ソング・ライターの作った曲を聞くのは、全然つまらないっていうことですか?」

すぎやま「いや、ヒットが出にくい原因はそれじゃないかと。」

五輪「私は割りとそんなことは意識しないですね。でも、やっぱりその人だけの世界といっても、人間は沢山いるから共感する人はいるだろうし。」

かまやつ「500円握って、ぴんからトリオのレコードを買いにいくという、そこに浸透することが素晴らしいのか、あるいはそこまで成り下がったのか、といういい方もできるし、とってもわかんないですね。」

すぎやま「あの種の演歌でも全く売れないのがあるわけだし。それからみるとぴんからトリオというのは素晴らしいね。でもあれは日本の土俗的な音楽だから、外国へ持って行っても絶対売れないね、はっきりいって。
 五輪さんは曲を作る時どういう風に・・・」

五輪「未知の物を捜すというか、何かそういうものに興味がありますね。」

すぎやま「どうやって音楽勉強したの?」

五輪「ずーっと自己流です。」

すぎやま「楽器は?」

五輪「ギターとピアノ。」

すぎやま「曲を作る時、外国のアーティストの誰とか、何か目標を狙って勉強してやろうとか、そういうことあります?」

五輪「今まで聞いた中で良かった部分を自分の曲に取り入れたりしますね。」

すぎやま「日本の曲とかアーティストの作品に目標を置くことある?」

五輪「ないですね。」

すぎやま「どうして?」

五輪「自分は日本人だから、もうすでに持っていると思うし。」

すぎやま「学ぶべきものが何もないから?たとえば吉田拓郎のLPとか、昔のブルー・コメッツ、スパイダースとか、あるいは宮川泰を研究してみるとか。」

五輪「自然とそういうものが血となり、肉となってるからだと思う。でも、むこうの曲は小さい頃あんまり聞いていないし、正直いって「ああ、いいなあ」と思うものばかりだし。」

すぎやま「で、むこうのレコード聞いて出てくる形として、その影響を受けるというのと、模倣する、マネをする、下敷にするっていうのがあると思うの。自分の場合どっちだと思う?」

五輪「最初はマネから始まって、今は模倣している時期ですね。」

すぎやま「いつ頃ぬけ出せる?」

五輪「・・・・」

すぎやま「じゃ、たとえば模倣とか影響とかいう部分からぬけ出して、この感じのものは、ビートルズだろうがカーペンターズだろうが、絶対自分だけのサウンドであり、フィーリングの世界である。こういうものを作らなきゃいけないと思っても、どうしても誰かに似ちゃうと思って悩むことある?」

五輪「あんまり悩みませんね。やっぱり聞いたものを、ああ、聞いたことあるなと思っても、それが自分の本当に表したいものにピッタリするんだったら、それを使っちゃうし。もし、マネだっていう作品が現れたとしても、それを越えられるだけのフィーリングを持ってたらいいんじゃないかと思う。」

すぎやま「うーん、いくつだっけ?」

五輪「22です。」

すぎやま「うわーあ、オレの半分だよ(笑)。物の考え方に世代の違いって感じるね。僕らやっぱり悩む世代なんだよ。」

かまやつ「僕ら中途半端なんですね。」

すぎやま「僕はね、レコード聞いたり何するにしても、強い印象を受けるのは日本の作家の方が多いな。宮川泰さんなんて、アレンジで自分のフレーズ持ってるわけだし。いいなあって思っちゃう。そうすると、それをやりたくなってくる。でも、それの感じをうまく取り入れて模倣にならないやり方はどういうことかものすごく悩むね。」

かまやつ「ちょっと話が変わりますけど、英国のベーシストに「誰が好き?」と聞いたら、「バッハ」だって(笑)。機械的なことでサウンドはよくなってるかもしれないけど、音符で作るパターンとかはすでに過去にできあがっているんじゃないかと思うんですが、どうですか?」

すぎやま「かなり、それはあるね。でもリズムはね、ポップスのリズムって全く新しいね。その上にのっかかるものはかなり昔に試してしまったことが多いけど、結局、クラシック音楽が歩んできた道をまたなぞって歩くみたい。ジャズはクラシックをなぞって行ったけど、音を縦に重ねることに凝っていったでしょ。7thから9th、11thと。それからトライアドが出てきたりして・・・。そして、ビートルズが出てきて、もう一度ただの3幹音に戻して、縦に重ねることをやめ、横の流れで考え直そうみたいな運動だと思うんだ。だから、ビートルズ以後の音楽って、ビートルズのどこか一部を広げてやってるっていう気がするんだな。いってみればビートルズはバッハだよ。
 ポピュラー音楽って、クラシックが成し得ないものを持ってるから楽しいね。」

かまやつ「たとえば、中学生とか高校生がね、人よりも一早くむこうの新しいLPとかを聞いた時に、学校で自慢したりするようなところにも、ポップスの楽しさがあるんじゃないかと思うんです。」

すぎやま「ああ、あるね(笑)。」

かまやつ「僕がビートルズを見て一番びっくりしたのは髪の毛の長いこと。それからユニフォームをマネして。その後なんです、音楽をマネし始めたのは。でも、ポップスってそういうものも必要じゃないかな?」

すぎやま「そうですね。」

かまやつ「言葉でいうとすごく薄っぺらだけど、実際はそうですよね。」

すぎやま「ポップスってのは、半分ホビーだからね。だから、ショー・ビジネスとしての要素が必要だということも、そういうところにつながって行くんだよね。」

 

 

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