●アニメ音楽対談

渡辺岳夫vsすぎやまこういち

 
「僕は“岳夫節”というメロディで勝負したい」
・・・・・渡辺岳夫

 
「アニメ音楽で若い人がオーケストレーションを好きになるチャンスを作りたい」
・・・・・すぎやまこういち

 

聞き手:藤田純二、田中研二

 

 
☆富野哲学を音楽にすると・・・

 
渡辺「僕のやった『ガンダム』は、作品につられたというか、富野さんの迫力につられたという感じだね(笑)」

すぎやま「富野哲学を理解するのが大変なんだよね(笑)」

渡辺「『ハイジ』とか『キャンディ』とかだと、ある程度ねらいがわかるんだよね。だけど、彼の場合は、もう違う星から来てる男にしゃべられてるって感じだったね。」

すぎやま「彼の言ってることを言葉じゃとても難しくていえないから、『音楽にするとこういう風になる』ってやるよりしようがない。まあ、それがおかげさまでうまくいったって感じだね。」

田中「富野さんの作る詞っていうのは、どうだったんですか?」

渡辺「かわってましたネ(笑)。普通の作家の空間じゃないんだよね。とんでもない空間が、詩の行間にポっとある。そういう意味では、入口捜すのに時間がかかるけど、その方が面白いみたいだね。既成の作詞家っていうのは、詞を渡された時に、だいたいの感じがわかる。カーブか、シュートか、ストレートか、富野さんの場合は、なにを打っていいかわからないって感じだったね。」

すぎやま「僕はね、あの人の詞すごく曲がつけやすかった。ということは、僕も少しエキセントリックなのかね(笑)。」

渡辺「それはねー。もしかしたら、すぎやまさんの方がとらえ方が新しいというか、サウンドにしてもよく勉強してるし、感覚的に新しいからじゃないんですか?なんたってプロデューサーからディレクターまでやってた人だから(笑)。」

すぎやま「いえいえ(笑)。僕も八方破れだから。少しはずれてるのかねー(笑)。」

藤田「やー『イデオン』の詞っていうのは、富野さんの詞の中でも、きわめて明解な詞ですよ。だから、つけやすかったんじゃないですか?」

渡辺「『ガンダム』の方はどうだったの。そういう意味では。」

藤田「『ガンダム』は難解でしたよ。だから『ガンダム』から『イデオン』に行くまで、いくつも詞を書いたからそのへんの富野さんの変化もあるんじゃないですか。」

すぎやま「それと『ガンダム』は、渡辺さんの狙いが当ったって気がするね。」

渡辺「狙ってるわけじゃないんだけど。もう30年近くこの仕事をしていると、だいたいわかるんだよね。前のことをふり返ると。富田さんとは、3本仕事したけど“宇宙メカもの”っていうのは『ガンダム』が初めてだったんだよね。それまで僕は“少女もの”か“スポ根もの”専門って感じで、あの手のものは、渡辺宙明さんか、菊池の俊ちゃんとかの専門。だから『ザンボット3』で、藤田さんから電話をいただいた時は、ちょっと驚きましたね(笑)。」

すぎやま「学校の音楽の時間にね。『ハイ、これがチャイコフスキーの“コンチェルト1番”ですよ』『“ベートーベンの5番”をみんなで鑑賞しましょう』なんて言ったって、バカにして聴きやしない(笑)。そうすると、今、青少年がオーケストラ音楽に、実際ふれたり、聴いたりする一番大きなチャンスが、アニメの音楽じゃないかと思うね。だから僕は、『いいチャンスを作らなきゃいけない』って使命感の方が、商売より優先しちゃうんだよ。」

渡辺「僕は、親父がシンフォニーの作曲家だったくせに、メロディ・メイク的な仕事が多くてね。だから、童謡とは違った“子供の歌”を作っていきたいと思うね。『ハイジ』や『キャンディ』を、子供達が歌っているのを聞いていると、ほんとにうれしいね。」

すぎやま「アニメの音楽っていうのは、やっていて楽しいね。」

渡辺「やっぱり実写っていうのは、音楽が饒舌になってくるね。音楽のいらない場面にも音楽が入って来る。アニメの場合は、我々が音楽を入れるのを待っていてくれる気がするね。アムロという少年がいると彼をだんだん好きになって、素直に音楽が入っていける。」

藤田「それは、音楽の持っているファンタジックな部分と、アニメの持っているファンタジックな部分があうからでしょうね。」

渡辺「掛け算になるんだよね。実写の場合は全部じゃないけど、悲しい演技をしている時に、悲しい音楽をやるのは引き算だと思うね。それを要求される場合が多いんだけど。」

すぎやま「それでも昔にくらべれば、演出家も随分進歩したよ。」

渡辺「日本は、ディズニーみたいにお金をかけて、コマ合わせの音楽を作れないから、わりと小器用な作り方をしている時間が長かったからね。」

すぎやま「昔の演出家っていうのは、音楽とサウンド・エフェクトの区別がほとんどなくてね。絵の動きにいちいちサウンド・エフェクトのように音楽を合わせてくれって要求が多かったけど。最近は、その場面の情景とか主人公の心の動きを音楽で表現してくれって要求に変ってきている。即物的に音楽を求めるというよりも、音楽で“何か”を語ってほしい、という風に変って来たのは大きな進歩だと思うね。そういう意味では、富野さんなんかは、新しいタイプの要求を出して来ますね。『音楽で富野哲学を語って欲しい』とか、そういう方が作家としては、やりがいがありますよ。」

田中「『イデオン』の『カンタータ・オルビス』なんか結構、現代音楽風でしたけど、そのあたりも富野さんに誘発された部分ってあるんですか?」

すぎやま「あれが、富野哲学を音楽にするとこうなる、っていう僕なりの解答。『イデオン』は、輪廻の話だよね。『オルビス』って題をつけたのは、ギリシア語で“輪”という意味だから。」

 

☆アニメ音楽は急成長した

 
渡辺「しかし、アニメの音楽っていうのは、最近になって急成長したね。」

すぎやま「あちらさんで“スターウォーズ”をやってから、アニメの音楽に対する考え方が随分変りましたね。ジョン・ウィリアムズの影響で、あの手の作品にもシンフォニック・オーケストラをつかうという機運が高まった。それで、僕にもアニメの仕事が来るようになったんだよ(笑)。」

渡辺「僕は、あれをロンドンで見たんですよ。夜10時頃行ったらいっぱいで、12時からの最終を見たんだけど、すごかったね。ああ、こうゆうとらえ方で宇宙の音楽をやってる、ってすごくわかっちゃう。」

田中「『ガンダム』も『イデオン』も、東京フィルでレコード化されていますけど、シンフォニー化する時、特に苦労したところなんかありますか?」

すぎやま「『イデオン』の場合は、BGMみたいに情景に合わせて書きっぱなしで終るわけにいかない。やっぱり4楽章に、どうやってまとめるか構想をねるのに一番苦労しましたね。」

渡辺「僕は、ほんとを言えば違うモチーフで書きたかったんですね。それだけ時間もらって、それだけオーケストラを使えるなら。観念的には『ガンダム』でいいんだけど、情感的には違うモチーフでっていうのが、すごくありました。」

すぎやま「僕は、わりとひとつの旋律、ひとつのモチーフを何回も何回も、いろんなオーケストレーションで、徹底的にこねくるのが好きな質だから。そういった悩みはなかった。今の世の中の風潮として、オーケストラ作品を新作で発表する場合は、旋律があって、普通にハーモニーがあるものは受け入れられない。クラシックの世界は、アブストラクトな前衛的なものでないと作品じゃない、という日本特有の現像がありまして。それが、アニメの為のシンフォニーってことで、まっとうな旋律と、まっとうなハーモニーで音楽を書いて、まっとうなオーケストレーションが出来るっていうのは、とてもありがたかったし、作業としても楽しかったです。もちろん前衛が全部悪いっていうわけじゃないですよ。だけど、オーケストラが全部鳴るのは気持ちのいいものだから。前衛音楽だと全部鳴らしちゃいけないみたいで・・・。だから、アニメの音楽は健全でわかりやすいですよね。ジョン・ウィリアムズだって健全だもん。」

渡辺「どちらかといえば、僕はメロディ。岳夫節っていうメロディで勝負していく方だからオーケストレーションに執着がないっていったらおかしいけど、次のメロディを書きたい方なんだよね。そういう意味では方向が全然違うかもしれないね。僕は、すぎやまさんの音を聴いて、実に計算して、ビシっとやっていると思いますね。もし、歌謡曲の世界で、二者択一するとしたら、僕はメロディを書く方で、すぎやまさんはオーケストレーションをなさる方かもしれないね。」

すぎやま「そう計算もしてないですけどね。どちらかといえば、オーケストラの響きでも、ハーモニーでも、自分の趣味嗜好でやっている。だから時間がかかるんだよね。」

藤田「ピアノは、あまり使わないんですか。」

すぎやま「音を捜す時ぐらいだね。自分の思っている響きが過去に使った事のある響きならわかるけど、新しい響きを使う時は、ピアノで捜しますね。」

渡辺「最近、音楽で一番かけているのは、ピアニシモの力のなさだね。フォルテの場合は鳴るんだけど。ピアニシモっていうのは“小さい”って意味じゃなく、力をたくわえなければいけない。エレキ楽器が全盛になって忘れられてしまったんだよね。」

すぎやま「それでいうとさ。この前、ホロビッツが来てさ。あれで5万円は高い---だのボロクソに言う人は言ってたけど。TVを見て、それはテクニック的には若い頃の光はないけど、音の作り方や感覚的なものは、やっぱりスゴイと思ったね。ショパンの速い曲なんて全然よくなかったけど、シューマンの“謝肉祭”とか、ベートーベンの“ソナタ最終楽章”なんかのスローな曲のピアニシモはさすがだったね。そこで感激して、「スゴイスゴイ」って言うと軽蔑した目で見られたりしてね(笑)」

渡辺「日本は、そういうところで誉めるか、けなすかの両極になっちゃう、『ここがよかった』ってところがないんだよね。」

すぎやま「少なくとも、平均的なピアニストが全然“ドキッ”とさせてくれないところで“ドキッ”とさせてくれた。僕は、そういうのが好きだから。仕事にかかる時でも、一箇所“ドキッ”とするようなところがあれば、それで幸せって気持。全部平均的ってよりは、谷があるけど山があるって方が好きなんだよね。」

 

☆音楽を書く能力のある人が音楽監督として定着してほしい
 

藤田「『スターウォーズ』は、映画が何作もあるけど、メイン・テーマが同じだっていうのもいいですよね。」

すぎやま「それは絶対にいい事ですよ。その方が印象が強いし。日本人は、あきっぽすぎて理由なく変えなくてはいけない---っていう強迫観念にかられてしまう。せっかくのいい物を、変えて悪くしちゃうっていうのが多いんじゃないですか。」

田中「あと、ステレオの映画館がふえて来たのもいいですね。モノラルとは迫力が随分ちがうものですね。」

すぎやま「やっと小屋主が、気づいて来たのね。『スターウォーズ』の時に、いい音の小屋はいっぱいで、音の悪い小屋はガラガラという結果が如実にあらわれたから。若い子が、ウォークマン聴いて歩いている時代に、音が良くなきゃ映画は売れないですよ。」

渡辺「日本の映画界も、昔の映画5社ですか、あれは凝り固まっているけど、いろんな新興勢力が出て来ますよね。角川映画とか、ああいうのを見てると音楽のとりくみ方が全然違うね。まず音楽がメインになって作品を売って行こうって姿勢が、若者に受けている一因じゃないですかね。」

すぎやま「ギャグなんかでも、絵で面白い事やっていて音楽でも面白いものをやるってのは、もう古いんじゃないですかね。絵は面白いんだけど、音楽はシリアスで、その事でまた面白さが増す---みたいな音楽の作り方をしてみたいですね。」

渡辺「チャップリンの喜劇と日本の喜劇の違いというのがあって、舞台に丸太が一本あって、下手からチャップリンが走って来て、つまずいてパターンと倒れるんですって。初めは、お客も笑ってるんだけど、それを何回も何回もくり返してやるんで、だんだん笑わなくなる。そこから音楽が流れるんですって。日本の喜劇は、最後に今度は飛ぶよ---って本当に飛んじゃう(笑)」

すぎやま「笑いに関しては、日本でもちゃんとした伝統があったんですよね。落語っていうのは、噺家本人は絶対に笑わない。今の漫才にしても、やってる方が笑っちゃうから見ている方はシラケちゃうんだよね。日本のドラマの演出を見ててもさ。向こうのドラマの演出だと主人公はつねにクールだよね。クールでいながら喜びや悲しみを演技できる。ところが、日本の場合はつねに、どなる、泣く、叫ぶ、だから見ている方がシラケちゃうんだよ。」

渡辺「向こうの方は、同じ人が死ぬんでも悲しみを背中で演技して客を泣かしちゃう。」

すぎやま「たまに、日本の刑事ドラマなんか見てると最初から最後まで興奮しまくってる。これでシラケちゃう。その辺が、もう一歩って感じだね。」

渡辺「見ている方は、もうその感覚になっているもんね。」

すぎやま「あと、絵の演出をする人はいるんだけどサウンド・トラックの演出をする人がいない。渡辺さんみたいに音楽を書く能力のある人が、音楽監督として定着していくと素晴らしいと思うんだけどね。」

渡辺「昨日もフジテレビで打ち合わせして来たんだけど。今度、江戸川でやる花火を一時間半の特番にするんですよ、生中継で。それで、アメリカとフランスの花火もVTRで撮って、いっしょにやるんだけど、『岳夫さん作曲してくれ』って言うから。『作曲なんて、誰でもいるから音楽監督やらしてよ』って言ったんですよ。久石譲といっしょにシンセ5、6台とラテンパーカッションでやるんだけど、これが初めての音楽監督の仕事なんだよ。」

すぎやま「どんどん、その道を開拓して下さいよ。」

渡辺「毎年、この仕事をコツコツやって、そのうち、スイスのレマン湖あたりで、花火オリンピック的なものをやってみたいね。」

 

☆アニメ音楽にもサクセスがなければ若い人は育たない!

 
渡辺「今度、僕は海の中の音楽をやってみたいな。海の中の植物連鎖とか素晴らしいんですよね。そういう番組はないですかね。今、ひとつやり始めているのは海の上なんだけど。海の上の音楽というのは、ラテン系の音楽があう。中は、どんな音楽があうかな---」

すぎやま「『イデオン』は、海の場面が多かったね。ファンタジックな・・・」

渡辺「それがいいんだよ。」

すぎやま「僕も、やりたい事はいっぱいあるけど。アニメで“古事記”なんかやったら、ぜひ音楽を作ってみたいね。」

渡辺「フランスでね、アニメをTVでやりたい---って話が日本の製作会社に来て、どんどん企画を送ったんだけど全部『NO!』だったんですって。それで向うから来た企画が“ギリシャ神話”なんですよ。“キャンディキャンディ”があたった、じゃあ---っていって同じ企画を持って行っても、向うは絶対買わないですよ。『もうあれはいいんだ。もっと違うジャンルでなにかないか』って。で“ギリシャ神話”をキチッてやってから“北欧神話”をやる---って言ってましたね。」

すぎやま「ヨーロッパ人は“ギリシャ神話”のストーリーを子供の頃から知っていますよね。日本もやっぱり“古事記”を知っておいてほしいな。学校で習うとかじゃなくてね。あの話は面白いんだもん。いってみれば、尊は、ヌードダンスをやっちゃったわけでしょ。天の岩戸で。天照大神も好奇心には勝てずにのぞいちゃうわけ。その人間くささが、とてもいいと思うんだけどね。ああいう話がとても好きで、ミュージカルは随分やったけどね。“シンデレラ”やったし“白雪姫”“かぐや姫”“西遊記”もやった。」

渡辺「こないだ僕も“かぐや姫”をやったんですよ。フランスに持って行って40日まわったんだけど大好評でしたね。」

藤田「ミュージカルっていえば、そろそろアニメでミュージカルが出て来てもいい頃じゃないですかね。製作会社の人に聞くとみんな『ミュージカル作りたい』っていうのが多いんですよね。」

渡辺「本来アニメ自体が要素として持っているものだよね、ミュージカルは。実写よりもかえってやりやすいんじゃないかな。」

すぎやま「ただ、ミュージカルにした場合、フルアニメじゃないとカッコがつかないよね。歌うたったりのライブ・アクションが撮れないとさまにならない。制作費が膨大になるだろうけど。」

藤田「舞台のミュージカルってけっこう子供が楽しんで見てますからね。子供の為のミュージカル・アニメっていうのは絶対出て来ると思うんですけどね。」

すぎやま「日本でそういう事が出来にくいもうひとつの理由は、ビジネスのあり方の違いだと思うね。日本の場合は、ちゃんとした企業が企業のビジネスとしてやるからね。採算的な安全圏を考えて、おもいきった事ができない。アメリカの場合は、ベンチャー・ビジネスでギャンブルなんだよね。一人のプロデューサーが企画をたててスポンサーを集める。スポンサーは、その映画があたれば50万ドルが100万ドルにも200万ドルにもなるけど、あたらなければ投資したお金のすべてがパーになっちゃう。そういったギャンブル・スポンサーがいっぱいいるから“スターウォーズ”や“ET”みたいなスゴイ映画ができるんだよ。」

渡辺「アメリカでは投資家の事を“エンジェル”って言うんですよ。」

すぎやま「その“エンジェル”とプロデューサーのケンカなんかすごいもんね。」

渡辺「その時、プロデューサーが強いからすごい。」

すぎやま「日本の場合は、お金を出す側と受ける側に自然と主従関係ができちゃうんだよね。そこが大きな違いだね。アニメの音楽っていうのは、最終的にはリッチじゃないといけないと思うね。ハングリーなのは、演歌と黒っぽいロックだけで充分だね。アニメの音楽はセンチメンタルよりロマンティックだと思う。ロマンていうのはリッチじゃなくちゃ。具体的にお金がなくても、精神的に余裕がなくちゃ。心がリッチじゃないとだめなんだよね。」

渡辺「僕らが、ニューカレドニアなんかに行くのもそうですよ。精神的にリッチになる為に行くんですよね。いつも心をいい状態にしておかなければ、こういう仕事はできないんですよね。」

藤田「これから若い人で、アニメの音楽をやってみよう---なんて人は出て来ますかね。なんか、みんな歌謡曲とか、そっちの世界に行っちゃうような気もするんですけど。」

すぎやま「やっぱり、どの世界もサクセスがなければ若い人は集まらないと思う。実業界っていうのはサクセスのある世界だよね。絵の世界も、小説の世界もサクセスがあるよね。でも、アレンジャーとか、あまりサクセスないからね。やっぱりサクセスのある世界にしなくちゃ。」

藤田「それじゃあ、先生方がいっぱい活躍していただいて、若い人にアニメの世界にもサクセスのある事を見せて下さいよ。」

すぎやま「サクセサーになりたいですね(笑)。」

渡辺「アニメの音楽が、リッチな音楽として育っていってほしいし、いい音楽が生まれて来るんじゃないですか、これからどんどん。僕もガンバロウ(笑)。」

 

 

戻る